fondazione italia giappone 伊日財団
2005年愛知万博 日本におけるイタリア2001年 日本におけるイタリア2001年関連イベント 日本におけるイタリア2001年の成果 イタリアにおける日本95/96 イタリアにおける日本95/96関連イベント イタリア運営委員会 日本運営委員会

伊日財団の活動が実を結び、日本人のイタリアに対するイメージアップを目的とした「日本におけるイタリア2001」は疑う余地のない成功をもって終了しました。それは、日本における対外的な成功とイタリア国内での成功という、イタリアにとって両面的な価値をもつものでした。

伊日財団がとりまとめたプロジェクトは、内容的な質の高さに加え、メディアと日本人全体に与えた影響の大きさにより、文化的な大事業であったばかりでなく、日伊両国の政治的関係においても新たな要素となりました。

プロジェクトの基本的機軸であった「参加型財団」の運営方式が、公的機関と民間が一体となって協力することを可能とし、イタリアの全体像をかつてないほどの規模で一貫性をもって紹介することにつながったのです。こうした運営方式は、その後、国外でイタリアを紹介するイベントの際のモデルとして多くの方面で採用が検討されるようになりました。

「日本におけるイタリア2001」は330の企画で構成され、そのうちの多くは複数の場所で実施されたため、全体では約800のイベントが開催されました。イタリアは既にさまざまな角度から広く日本に紹介されていましたが、こうしたイベントは日本人の関心をさらにイタリアにひきつけ、その大部分は非常に大きな影響を及ぼしました。

いくつかのデータを挙げてみましょう。
‐建築家ヴァレリオ・フェスティとプロデューサーの今岡寛和氏が実現したオープニングの大規模な野外イベント「空の祝祭」には、約3万人が招待され、その様子を第1面でとり上げた日本の主要な新聞の総発行部数は3200万部以上に達しました。

‐「イタリア・ルネサンス 宮廷と都市の文化展」には約46万人、「華麗なる18世紀イタリア ヴェネツィア絵画展」には約29万人、そしてイタリア製品プロモーションのイベント「イタリアまつり」には26万人が来場しました。

‐「フィレンツェ歌劇場」は10回の公演で計25,375人、「フェニーチェ歌劇場」は7公演で計14,000人、サンタ・チェチリア管弦楽団は9回公演で計13,312人、「日伊現代音楽フェスティバル」は3公演で5000人の聴衆を集め、大成功を収めました。また、「プッチーニ・フェスティバル」日本公演では、「蝶々夫人」の舞台となった長崎でこのオペラを上演し、3公演で9000人の観客が舞台を楽しみました(「蝶々夫人」の舞台、長崎での初公演であったため、日伊両国のメディアから大々的にとり上げられました)。

‐日本経済新聞社主催の「デ・キリコ展」は5都市を巡回し、合計来場者数100万人以上という新記録を立てました。

「イタリア・ルネサンス 宮廷と都市の文化」展は、ローマ、クイリナーレの壮麗なスクデリーエ・パパーリ宮でも開催され、イタリア各地の60に及ぶ美術館から集められた傑作の数々を一堂に鑑賞する機会が、イタリア人にももたらされました。

幅広く文化を紹介するというコンセプトにもとづき、現代芸術を含めた、重要でありながらも日本で紹介されることの少なかった芸術家の作品展も催されました。
「カラヴァッジョ 光と影の巨匠‐バロック絵画の先駆者たち展」は、日本国内の多数の美術館を巡回することとなり、連日3000人以上が訪れ、東京で開催した美術館ではそれまでの来場者数記録を塗り替える結果になりました。

主催者の朝日新聞社は、この「カラヴァッジョ展」のために、シチリア州内に所蔵されるカラヴァッジョ派の画家による作品数点の修復費用を負担し、また日本経済新聞社は「イタリア・ルネサンス 宮廷と都市の文化展」のためにボッティチェッリの「春」の修復に資金提供をしています。

その他にも、「20世紀イタリア美術展」(東京都現代美術館で開催)、開会式には皇后陛下も出席された「シエナ美術展」(キージ・サラチーニ財団コレクション。東京ステーションギャラリーで開催)、「ポンペイ展」(江戸東京博物館で開催。73日間で38万人が来場し、同博物館20年の歴史の中でも最も来場者数の多い展覧会となり、その後、日本各地4ヶ所を巡回)など、まさしく文化的性格を備えたイベントの成功は特筆に価することです。

2001年9月11日に起きた同時多発テロ事件により、世界はテロの脅威にさらされました。しかし、そうした中にあっても、「カラヴァッジョ展」「シエナ美術展」「20世紀イタリア美術展」、イタリア憲兵隊ブラスバンドのパレード(東京の目抜き通りで行われ、3万人の観衆が詰めかけた)やフィレンツェの職人の技を紹介する展示即売会などのイベントを開催したことは、イタリアが文化を媒体に、より高次の国際的対話を目指していることを証明する象徴的な意義をもっていました。

伊東豊雄(会場設計と構成)とアンドレア・ブランジ(監修)という日伊両国を代表する建築界の重鎮が設営に携わった「イタリアと日本:生活のデザイン展」も、とりわけ高い評価を得た展覧会です。こうした企画の全ては、日伊両国の文化的側面での協力があって実を結んだことを強調しなければなりません。

また、テクノロジーにも特に高い関心が寄せられ、イタリア宇宙事業団の尽力で宇宙飛行士のウンベルト・グイドーニ氏が開会式に列席した「イタリア 科学とテクノロジーの世界展」、「ダ・ヴィンチとルネサンスの発明家たち展」、イタリア貿易振興会企画の「イタリアン・テクノロジー展」、また、アルファロメオ、アレッシ、リチャード・ジノリなどイタリアの民間企業各社により各種の展覧会が開かれました。他にも、伊日財団会員であるブラッコ社監修で、ヴェロネージ教授が参加した医療をテーマとしたセミナーや、ヒューマノイド・ロボット工学、建築、地球科学、物理学、情報社会、経済などについてのシンポジウムも数多く開催されました。

経済の分野では、イタリア商工会議所連合、日本とイタリアの商工会議所、ロンバルディア州経営者団体や、日伊両国の大学の経済学部が参加して数々のイベントが実現しています。加えて、日本経済新聞の企画による日伊両国の代表者の交歓会、イタリー・ジャパン・ビジネス・グループの第13回ミーティング、日伊のジャーナリストのセミナーや、姉妹都市関係を活用して日本の都市とイタリアの州の経済交流も行われました。

特に重要なできごとに、イタリアのディーニ外相(当時)のオープニング式典出席、マルツァーノ生産活動相、ギーゴ州知事会議議長、関西地区で一連のイベントの具体化を推進したロンバルディア州のフォルミゴーニ知事の訪日がありました。
また、カンパーニア、ロンバルディア、リグーリア、エミリア・ロマーニャ、プーリア、トスカーナ、ラツィオ各州の評議員も、「日本におけるイタリア2001」の機会に来日し関係機関の訪問や会議出席を果たしています。

日本市場に進出していなかった小企業に対しては、「日本におけるイタリア2001」で展示会などのイベントに参加する際に、プロジェクトの2000年度資金の一部と生産活動省からの割当て予算を利用できるよう、特別な配慮がなされました。
各地の百貨店が企画したイタリア製品フェアの数は非常に多く、合計で70ものフェアが開催され、計1千万人以上の消費者が会場に足を運びました。

また、ファッション関係のイベントも目白押しでした。華やかな「クリツィア展」、「イタリアモードの50年史」、ミラ・ショーンやロベルタ・ディ・カメリーノについての展覧会が百貨店の企画で開催されました。
ジュエリーの分野では、イタリアの最も重要な宝飾品展示会「ヴィチェンツァ・オーロ」を日本で開催し、ファッションショーと展示が行われました。伊日財団の会員であるジュエリーメーカー、ブルガリ社は、日本のメディアから大きくとり上げられた、東京タワーをイタリア三色旗の色――赤・白・緑――にライトアップするイベントを後援し、ジュエリーを題材にした絵画コレクションの展覧会も開催しました。憧れの宝飾品のひとつとして日本女性に人気の高いカメオのイベントも数え切れないほど開かれました。

音楽関連イベントの充実は、「日本におけるイタリア2001」の成功を支えた要素のひとつです。イタリア有数の歌劇場や多数のアンサンブルの来日公演と並び、ルチアーノ・ベリオを始めとする現代音楽作曲家の作品にもスポットライトがあてられました。

他にも伊日財団の企画で、1920年にフェラリン中尉が複葉機で成し遂げたイタリア−日本間の冒険飛行が再現され、ローマを飛び立った遊覧飛行用の小型機2機が長崎に着陸しました。
イタリア海軍はサン・ジュスト号とオルサ・マッジョーレ号を日本各地に寄港させ、イタリア憲兵隊は東京の目抜き通りをパレードし、日本の警察庁音楽隊と競演したコンサートで大喝采を博しています。

埼玉スタジアムで行われたサッカー・イタリア代表と日本代表の親善試合には6万5千人のファンが詰めかけました。これは、調整が最も困難な企画でしたが、伊日財団前会長のウンベルト・アニェッリの尽力により実現しました。

イタリア映画については、映画史に残る古典的作品と最新作の両方が取り上げられています。ナツィオナーレ・デル・ラヴォーロ銀行の支援もあり、この機会にイタリア映画54本の日本語字幕が製作されたことは注目に値し、イタリア映画を日本でさらにメジャーなものとする上で、今後も大きな財産となることでしょう。

「日本におけるイタリア2001」を積極的にサポートしたイタリア政府観光局は、イタリアで最も重要な産業のひとつ、観光に焦点をあてたイベントを多数企画しました。
他にも、「ミッレ・ミリア」や、郷土色豊かなイタリア各地の魅力を紹介するイベントの開催、児童演劇、幼児期教育に関する展示やセミナー、「東京国際ブックフェア」ではイタリア貿易振興会企画のパビリオンが設営され、イタリア人彫刻家たちの作品の複製設置など、数々のイベントに注目と高い関心が集まりました。

伊日財団は文化交流にも特に力を注いでいます。「ジェノヴァ市立キョッソーネ美術館浮世絵名品展」、「デル・ガウディオ絵葉書コレクション展」、「イコ・イッキ・ダミアーニ 磁器上絵付展」、「安田侃 野外彫刻展」、「未来心の丘(カラーラ産大理石を用いた、杭谷一東による庭園型モニュメント)」、「フォスコ・マライーニ写真展」や、日本人写真家がイタリアの風物を写した写真展など、日伊両国の芸術家を紹介する展覧会が催されました。

プロジェクトに先立って、メネガッティ駐日イタリア大使(当時)、伊日財団のアニェッリ前会長と日伊協会の石川会長がイタリア大使館でのパーティーに、イタリアの町と姉妹都市提携を結ぶ23の地方自治体と、日伊文化交流を行う42団体を招待し、交歓の場を設けました。こうした自治体と団体の協力により、「日本におけるイタリア2001」は日本全国で展開され(43の都道府県でイベントを開催)、イタリア各地の魅力を紹介し、イタリアの全体像を伝えることができたのです。

ここでまた、データを挙げてみましょう。毎月平均して40あまりのイベントが20以上の市町村で開催され、有料イベントには延べで約500万人の来場者、その他のイベントや百貨店主催のイタリア物産展などには延べ3000万人が訪れ、多数のメディアが取材をしています。
日本の新聞・雑誌などに掲載された記事は、開幕から8ヶ月で2300件に上りました(平均して毎日9件)。イタリアの活字媒体の記事は1000件で、これは、それまでイタリアのメディアが散発的にしか日本をとり上げてこなかったことを考えると、全く異例の数字と言ってよいでしょう。
日本のテレビやラジオでも、イタリアや「日本におけるイタリア2001」について、多くの番組が放送されました。

日伊友好の永遠の証として、いくつかの寄贈品も残されました。例えば、「カピトリーノの雌狼像」の複製が2001年11月13日に東京スタジアムに設置されています。また、トスカーナ州の技術提供と資金援助により、イタリア庭園が2003年10月23日に完成しました。

「日本におけるイタリア2001」実現のためには、多くの人的資源が導入されましたが、それだけではありません。
イタリア外務省からは公的資金65億リラが伊日財団に投入されています(政令252/2000)。また生産活動省の2000年度予算から85億リラの資金が、イベントに参加する中小企業に所属組合を通して支給する助成金として用意されました。文化的イベントのためには、文化財省が同じく2000年度予算から65億リラの割当てを準備しました。
50億リラに達した民間からの資金は、資金調達のため伊日財団がイタリアの企業や銀行に対して行ったキャンペーンの成果です。

日本経済新聞社、朝日新聞社、産経新聞社、フジテレビなど日本の主要メディア各社の協力は、「日本におけるイタリア2001」で大切な潤滑剤の役目を果たしました。また、NHKプロモーション、TBSテレビ、読売新聞社、毎日新聞社、神戸新聞社、株式会社I&Fの各社からもプロジェクトの実現に多大な貢献が寄せられました。

日本との協力体制は、非常に大きな実りをもたらしました。相互協力することにより、日本的な見方と複雑なシステムを経ることになり、それがさまざまな視点からの総合的な判断を可能とし、結果として素晴らしい成果を得ることができたのです。これは、日本側の経費負担額がプロモーション・コストを除いて2500億リラに達したことを考えても明らかです。
プロモーション活動の効果は著しいもので、結果的に、このプロジェクトを最良の形で実現することができました。実際のところ広告費の大部分は日本の大きなメディアが負担し、テレビ、活字媒体、路上広告、車内吊り広告などにより、イタリアが日本市場に深く印象づけられました。

幅広くイタリアを紹介するという目的で開催された「日本におけるイタリア2001」は、イタリアの総合的なイメージを日本に紹介し、文化的・商業的な大プロジェクトの域を超えた重要な意義をもつものになりました。このプロジェクトの運営方式により、本当のイタリアの姿――歴史ある文化を守りながら、最新のテクノロジーと革新的工業生産の面でも優れた国であること――を紹介できたのです。